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上北鉱山と私

大橋 恒夫

私が上北鉱山に赴任したのは、昭和4313日です。年末ザイールから帰国し、夏の世界から、冬の世界へと移り住みました。野辺地から雪上車に揺られ、家族人、2人の幼い娘を連れての赴任でした。

上北には、閉山まで勤務しました。あっと言う間の4年間でしたが、今振り返ると充実した4年間だったと思います。

当時の上北は奥の沢、上の沢、本校、立石で採掘が行われており、最盛期の力はなかったものの、活気に満ちていました。また、堂の沢の新鉱体への着鉱も間じかでした。

所長西宮、採鉱中村、探査石井さん等が居られました。しかしその後、堂の沢は期待した鉱体は発見できませんでした。また、坑内外での試掘でも新しい鉱体を発見することが出来ませんでした。このため既存の鉱体を採掘するのみとなり、閉山へと向かって行きました。

探査に勤務していた私は、坑内外の探鉱にかかわり、鉱体の発見に努めましたが、成果を上げることができませんでした。

閉山前、私はインドネシアのニッケル調査に出たため、家族を残しゲベ島へ出張しました。そのため帰国した時は、上北は閉山されており、上北に戻ることなく、豊羽へ転勤しました。

上北の生活、冬は大変厳しいものでしたが、雪の晴れ間には社宅の前で、子供達とソリ遊びを楽しみました。また、春、夏、秋と移り行く季節の山々の姿は、忘れることが出来ません。特に、上北に入る峠から見る八甲田連峰や田代平の紅葉の世界は素晴らしい眺めでした。また行ってみたいと思っています。