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秘境に住んで

小笠原

自然が大好きである。

昭和27年初夏、同僚とともに乙供の出張所前から上北鉱山行のトロッコ電車に乗ってから、昭和35年の春に転出するまで、約8年に亙る北の大自然の中での生活が始まった。社会人としての第一歩であり、3年余りの寮での独身生活、そして結婚、二人の娘に恵まれてやっと一人前になった。もう60年近く前のことだが、上北は本当に懐かしい。

1年のうち5か月余りが冬という気候であり、スキーが苦手の私は、冬は専ら室内で時間を過ごしていたが、マージャン、囲碁のほかに、薪ストーブの周りでの駄弁りも楽しかった。たまに社宅に呼ばれて、鳥のすき焼きを御馳走になり、前に勤務していたほかの鉱山でのことを聞くのは興味深く面白かった。残念なことに、その頃はお酒が極端に弱く、そのうちに寝てしまい、気が付いたら誰もいなく、ストーブの部屋で毛布を掛けられており、家の人に気付かれないようにソーと抜け出して寮に戻ったことが何回かある。あの頃お世話になった人々は、もう皆いない。

冬、吹雪もあれば晴天もある。晴天の朝、新雪が朝日にきらめき木々には雪の花が咲き、雪面には点々と小動物の足跡が見え、それがフット消える。こんな風景はここでしか見られないと思った。社宅への帰り道、傍らの雪の中に身を投げてみる、人型の窪みが出来て天から限りなく雪が降ってくる。酔いの故もあって、そのまま眠りたくなった。

春、残雪の中に「こぶし」の花が咲き、「まんさく」の黄色い花が見え、そのうちに「ぶな」の新緑が全山を覆い、山菜の季節がやってくる。わらび、ぜんまい、みづ、うど、しどけ、たけのこなどそれぞれ独特の風味があって大好きだ。長女を背負って皆と田代平につつじを見ながらワラビ取りに行ったのも、いい思い出である。

夏、いわなの夜突きやぐだり沼での釣りの話が出てくると、もう夏である。各部の活動も盛んで、狭いグランドも行事が絶えることがない。8月のお盆がすむと秋風が吹く。

秋、「うるし」や「ななかまど」の葉が色づき始め、紅葉がはじまる。昭和58年ごろ十和田、奥入瀬を通って鉱山に行ったことがある。天気にも恵まれ紅葉は素晴らしかった。中でも、上北鉱山の紅葉は群を抜いて美しかった。こんな良いところに住んでいたのか、と、家内とつくづく話し合ったものである。

秋はキノコの季節である。わかおい、ぼりぼり、なめこ、まいたけ、など種類はまだまだ沢山あるが、自分で採ったものは数種類で、あとは貰い物が多かった。ぼりぼりの味噌汁、まいたけのバター炒め、網焼き、とても美味しく、今市場に出ているキノコはキノコの滓である。

何の不自由もない秘境に住めたなんて、鉱山での暮らしは素晴らしかった。