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上北鉱山の想い出

曲山 浩

昭和22年、樺太の敷香(シスカ)から母と兄弟3人、北海道へ。父も1年程して引き揚げ、その後上北鉱山へ参りました。

立石の8号長屋は4軒あり、でこぼこ道の大通りから78段の階段を降り、中に入っていくと左側に長方形の大きなコンクリートの水溜めがあり、赤錆びた水道管から山の川より引かれた冷たい水が流れておりました。雨になると濁った赤い土色の水が流れ、底には大きなミミズが棲みついておりました。でも誰も気にせず杓子で水を飲み、米を炊き煮物を作ったり、秋には大きな樽に大根の漬物を作りました。

雪の多い上北鉱山は、名スキーヤーが大勢出ました。なかでもジャンプの伊藤吉彦君は小学生の頃から才能を現し、大人もかなわないジャンパーでした。私は同級生で、彼のお父さん留吉さんと近所の子供たちとジャンプ台を造り、彼が飛ぶのを皆で眺めたものです。確か小学5年生の時だと思います。4月の青い空に真白な雲が浮かぶ下で、伊藤吉彦君は飛んだのです。

そのことを詩とはいえないのですが、15年程まえに作品にしたものを、この度「上北鉱山の想い出」文集に寄稿させて戴きました。

  

“四十メートルの飛躍”

I君、僕は君のことを、詩という表現をとおして書いてみたかった。もう幾年にもなるけど未だに一行も書けないでいる。時々ペンを運ばせたけれど僕の心情とは違って、ぼんやりとした二人の自分が姿を現し、一方は薄暗い海の底へ藻屑のように引きずり込まれ、一方は軟弱に膨れ上がった海月となって海面へ浮上し、次々と数を増し、崩壊寸前までいって突然、目を覚ますという滑稽な日を送ったこともあったのだ。

君は四年前の夏、51歳で亡くなったね。世間では天才は若くして逝くものと云うけれど、51歳は微妙だね。僕は50歳を迎えた時、永遠的な地平、郷愁の悦びを密かに感じたけれど、君の51歳が寡黙な老人のように思えたのは何故だったのだろう。この土地に移り住んで家族や親しくなった寺の住職にさえ、君の輝かしいひとつの時代を一度も口にしなかった事を、僕は随分前から知っていた。君の40メートルの飛躍は11歳の少年としては荷が重すぎたようだ。

 

憶えているだろう、四月も間近になろうとする山の斜面に、銀の色のランディングバーンとジャンプ台をつくり、君とスキーが時空を超え、高みへ 高みへとむかう40メートルの飛躍を、幼い僕等は目映い真空のなかで見たのだ。その時から、君の天才は垂直に昇り始め、僕等の視界より次第に遠ざかり、誰もが歓びと憧憬のなか、未来において、落下する光である事を予知する事が出来なかった。

君がいなくなったあの夏

僕は青く広がる水田の道を空虚な乾いた眼差しで歩き続けた

降りそそぐ光のなかより

寂しく語りかける君の声が見えるようであった

酷寒の地 孤独な異国での滑走と飛躍

白夜のスカンジナビア