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文化の視点から、記憶の断片

佐藤 宏司

事務所の図書室 私は昭和25年から36年水島製油所に転勤するまで、総務・勤労の仕事に携わった。勤務する鉱山事務所に図書室があり、本の貸出しが行われていた。蔵書が豊富で、よくこれだけのものが揃っていると感心したものである。おそらく、地域から孤立する山奥の生活に配慮した会社の予算で備えられたのであろう。

雪に埋もれた長い冬期間、読書に浸るのは無上の楽しみであった。「ジャン・クリストフ、チボー家の人々、魅せられたる魂、戦争と平和、アンナ・カレーニナ、風と共に去りぬ」等々、枚挙にいとまないほど多量の本を読んだ。先年、貸出し係だった瀬野尾愛子さんに「よく読んでいたね」と言われた。

演劇 たまたま、借りた本の中に岸田国士の脚本集があり、その中の「葉桜」が気に入って、上北劇場の秋の文化祭で上演することになった。母娘が会話をするというシンプルな劇である。娘が彼氏の話をしているうちに母親が嫉妬して、思わず針仕事で持っていた物差しがしなる場面が印象に残る。

この劇は3回上演し、3回目は青森の演劇祭にも参加した。1回目は母親が田村美智子さん、娘が小林妙子。2・3回目は娘が工藤とし江さん、母親が木村お坊さんの娘さんだった。舞台装置は山田昌幸さん・松下嘉明さんはじめ、中学時代の親友・川村友人、中西茂、貝森博の諸君が照明や音響効果を担当してくれた(この方々はその後も手伝ってくれた)。

翌々年の文化祭で同じく岸田国士の「驟雨」も上演した。新婚旅行から帰ってきた娘の話を家族が聞く場面だ。蒲郡の旅館に泊まったが夫が朝帰りはするわ、日本地図を書いて蒲郡を示せと夫が言うから、さっと書いてやったら「なんだそれは、きゅうりか」と言ったと、娘が怒るところが笑わせた。配役に佐藤忠弘さん、田村美智子さん、工藤とし江さんなど。

木下順二作「夕鶴」も上演したことがある。「つう」には首の長い同級生の根本誠子さん、「与ひょう」に兄の武彦、女童3人は小学生で、長利所長の次女の方も演じてくれた。

炭鉱鉱山文化協会派遣の演劇では、前進座、俳優座などが来演した。俳優座は田中千禾夫作「おふくろ」で、岩崎加根子、平幹二朗が演じ、劇場の後で田中千禾夫さんが舞台を見つめていたのを覚えている。飯坂温泉での演劇講習会に参加した際、たまたま浴場で平さんと二人きりになり、平さんに「仲代さんのように有名になりますね」と声をかけたら、本人は「とてもとても」と謙遜していた。

映画 上北劇場では、月10回程度映画を上映していた(日本鉱業80年史)。厚生係に映画選定委員会が設けられ、青森の業者が提示するリストから上映作品を選んでいた。ある時期からその選定委員に加えられた。娯楽ものと芸術作品とのバランスを採るため、業者にフイルムを探してもらったりした。「哀愁、逢引き、田園交響楽、望郷、外人部隊、地の果てを行く、大いなる幻影、ガス燈等々」いわゆる名画を随分鑑賞できた。上京したついでに銀座・秀吉ビルのキネマ旬報社を訪ね、田中純一郎編集長(日本映画史家)にこの仕組みを話したところ、珍しい、ぜひ書けと言われ、寄稿欄に掲載されたことがある。

上北ニュース 和田山善之さんから「上北ニュース」の編集を引き継いで1年後、東京での炭鉱鉱山社内報講習会に参加。50紙ほどのうち「上北ニュース」が最優秀紙に選ばれ、及川賞(講師・東京新聞論説委員の及川六三四氏)を頂いた。昭和301月創刊以来、努力を重ねられた和田山さん、山田昌幸さんらの労が報いられたと、感慨一入だった。