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上北鉱山の思い出

山下 直樹

今を去る六十有余年の昔になるが、日本鉱業に入社し本社教育、一般実習、専門実習を行って、昭和32年3月に上北へ参りました。

JR乙供駅で下車し、雪上車(定員8名くらい?)に乗って山元まで来たものです。雪上車なるものは生まれて初めての経験で、南極への派遣の人たちも上北で雪上車の訓練をしたと、後で伺いました。

雪の階段を下りて合宿かクラブの玄関から中に入りました。さすが年間積雪量二十数メートルの実力は一見して実感しました。

上北鉱山は三つの鉱体から成り、本坑、立石坑、北坑に分かれていました。最初に本坑硫化鉱と45メートルの一部を担当し、次が北坑の坑外(褐鉄鉱床等の採掘)、沈澱銅の採収、冬場はブルドーザーによる除雪(道路の確保)作業を行いました。

三鉱体のうち立石坑は最後で、含銅硫化の採掘でした。三鉱体それぞれに特徴があり、三鉱山で採掘法の勉強をしたと同じ結果を得たものでした。

・冬の八甲田登山

上北鉱山は、八甲田連峰の裏側に位置しており、雪面の硬さが、足がずぼっと入らない程度になる3月中旬から4月にかけて歩けるようになります。

工作(施設課)の工藤さんというベテランをリーダーにして、2回冬の八甲田登山に挑みました。1回目は酸ヶ湯(八甲田山中にある有名な温泉)まであと一息という所で吹雪に遭い、断念して退却しました。確かあくる年と思いますが、採鉱課の同じ面々で再度決行しました。

田代代にあったダムの監視小屋に前夜から泊まり込み、翌日早く出発、登りの山道は慣れないシールをスキー板につけて、ひたすら前の人の後を追うという運動の連続でした。当日は天気も良く、酸ヶ湯温泉到着まで4時間くらいかかったと思います。

一泊して翌日下山。コースには目印があり、それを目指して上り下りを続けました。もちろんスキーの練習もみっちり行いました。特に橋口課長、宗田係長は大変な努力をされ、こうして、全員念願の冬の八甲田登山に成功しました。