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選鉱の変遷

上田健次

上北鉱山の選鉱は、昭和17年にシッガー及びテーブルによる比重選鉱場の建設に始まり、その後昭和283月に硫化鉄鉱7,000トン/月処理の比重選鉱場を、また11月に銅鉱5,000トン/月処理の浮遊選鉱場をそれぞれ建設し、12,000トン/月処理の木造傾斜選鉱場が完成した。さらに、昭和33年には含銅硫化鉱11,000トン/月、硫化鉄鉱9,000トン/月、合計20,000トン/月の処理を開始した。

しかしながら、その後は鋭意探鉱に努めたが新鉱床を発見できず生産の縮小に至り、昭和469月に坑内採掘作業を中止、昭和486月 露天採掘作業を中止した。

上北鉱山は、もともと奥乃沢鉱床の高品位の直送銅鉱によって始められており、その後本坑や立石坑の坑内掘りの鉱石処理が始まったが、鉱質上分離が難しい鉱石があった。

生産品は、山元から21キロメートル離れた野内まで索道で運ばれ、銅精鉱は日立製錬所へ、亜鉛精鉱は三日市製錬所へ、硫化精鉱は当初は社外へ販売されていたが、その後関係会社である苫小牧ケミカルへ運ばれるようになった。

坑内外の採掘休止に伴い、日本鉱業は東北鉱山保安監督部の指導、連携のもと坑廃水処理に人員を常駐させてきたが、平成134月に公益財団法人「資源環境センター」に移管されるとともに、中和処理設備,坑廃水自動化装置,pH監視装置並びに在宅監視システム等が逐次整備されてきており、今日では坑廃水処理に万全を期していると聞いている。