*** 朝の食卓 *** |
鉱山の春 新井 健一郎 |
一枚の古びたモノクロ写真を眺めている。 |
雪原に頼りなく延びる細い砂利道を、陽光を浴びてバスが来る。 |
背後に連なるは真っ白な八甲田山系。 |
「五カ月ぶりで待望のバスがやってきました」という簡潔な説明に、うれしさがにじんでいる。 |
写真は古い写真の一面を飾っていた。 |
「上北ニュース」。 |
1973年に閉山した青森県の上北鉱山が最盛期は3千人以上いた住民のために出していたヤマの新聞だ。 |
銅や亜鉛を産出する上北鉱山は、青森市南方の八甲田・田代平の山麓にあった。 |
鉱山はヤマと呼ぶのが習いだが、 |
ここは本当の山。 |
交通路は七戸の街との1本だけで、鉄道も通わない。 |
生活物資は鉱石運搬用の策道に乗って、尾根を越えた。 |
半年は雪に閉ざされ、足は雪上車しかなくなる。 |
紙面から伝わるヤマの日常は、厳しいばかりではない。 |
映画の案内や社宅での決めごと、主婦の投書。 |
そして、大雪にも負けずに遊ぶ子供たちの笑顔。 |
だが、彼らも中学を卒業するとヤマを離れる。 |
3月の紙面には、テープたなびく雪上車で都会へ就職に出る若人の写真がある。 |
ヤマ全体で一つの鍋を囲むような暮らしから都会へ旅立つには、どれほどの勇気が要っただろう。 |
やがて雪解け。バスが街から春を乗せてくる。 |
浮き立つ鉱山。「資源」という硬く心のないものが、そんな情景の中で生み出されてきたことを、 |
ヤマの新聞は教えてくれる。 |
(高校非常勤講師・別海) |
この記事は 「北海道新聞」の 朝の食卓 というコラムに H26に掲載された 内容です |
記事提供者 北海道旭川市在住 狩野義勝 様 S33年中学卒 |