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索道は山の生命線

今日の話題は「搬器」です

山の運輸課には索道班と軌道自動車班、ありました、この索道班の仕事が、あの朝からよる遅くまで、ガラガラ回転する、搬器を搬送する、お仕事です、索道は上北の生産と生活に、無くてはならない、重要な存在です。この鉄製の物体は、現代でいうロープウエイのような乗り物ですが、人を乗せる物ではありません、鉱石、資材の運搬、住民の食料、生活用品、手紙や小荷物と、利用範囲は非常に、広範囲の物でした。
鉱石の運搬で重要なことは、搬器一車に約450キロの鉱石が詰まれ、採鉱で掘られた、鉱石の生産量を明確にするという、役目もあり、本山索道内のペンキ塗りのきれいな秤量場は、山の門番でもありました。
この頃、の山の生産量は、月1万トンでしたので、1時間約45トンの搬送能力では、早出、残業は毎日の事でした。
索道は、4線ありました、
野内線(本山→赤沢→滝沢→分索→野内浜)
分索線(分索→野内駅)
奥の沢線
立石線
特に野内線は延長19キロ、支柱の数は159基、一番高い支柱は52メートルもありました。
索道の進む速さは、1分間に108メートル、搬器と搬器の間隔は、約毎40秒、従って、野内線には、いつも580個の搬器が、ぶら下がって、いた計算になります。

この索道に使われているロープの寿命
どの位だと、思いますか?

ロープの寿命は1mm当たり、1万トン、といわれ、合径32mmあるので、32万トン、
すなわち約3年間で、全部取り替えなければなりません、
取替え費用のロープ代だけで、当時の金額で、
約2千万円という数字が、残されています、